【日本史】なぜ戦国時代の日本は火縄銃を量産できたのか?

【日本史】火縄銃と刀鍛冶。最先端技術をわずか1年でコピー???鉄砲を量産した戦国時代の刀鍛冶たちは凄かった!<10分学習>

10ミニッツ自習室<火縄銃と刀鍛冶>

火縄銃はどうして日本で量産できたのか?

麒麟がくる、がオンエア中です。現在は第5話で火縄銃=種子島の凄さが強調されています。種子島に火縄銃が伝来した、というのは確実に歴史の教科書で習います。それだけ重要なトピックスになるのですが、ここから日本の技術レベルは飛躍的に加速していく事になります。当時の最新技術であった火縄銃の凄さはこれが渡来のものとして種子島にとどまることなく、堺などで量産されていったという点です。日本はなぜ火縄銃を量産する事が出来たのか?この背景にあったのはとんでもない水準にあった刀鍛冶の技術力です。今日は日本で火縄銃が量産で来た理由を10分くらいで勉強します。

種子島に渡ってきた奇跡

1543年、種子島に流れ着いたポルトガル人と共に火縄銃がやってきます。そこから1年後には、種子島で国産の火縄銃が作られました。これはものすごい事です。知識も何もなかった所から、なぜ最新技術であった火縄銃をあっという間にコピーする事が出来たのか、それは元々砂鉄が多くとれた種子島では下地となる技術があり、さらにそこに刀鍛冶・八板金兵衛がいました。知らない技術であったため、特にネジという仕組みに気が付くのは大変だったといわれていますが、それ以外は刀鍛冶の技術力を持って一気にコピーしていきました。キーテクノロジーはネジとバネです。ネジの仕組みを知らなかったためネジには手間取ったが、しかしバネに苦労したという記録は残っていません。これは当時の刀鍛冶のスキルがいかにレベルが高い物であったかを証明するものです。金属に強度と柔軟性を持たせるという技術はとても高度なものですが、刀鍛冶であった金兵衛はそれがたやすくできました。刀鍛冶の技術力がすでにバネ程度は余裕で作れるレベルであった事を示しています。

日本中に拡がる種子島

さらに種子島は日本中に伝えられ、各地で量産されていきます。これも当時の日本に同レベルの刀鍛冶が沢山いた事を証明するものです。日本全国に高水準の刀鍛冶・金属加工の技術者が沢山いた事が火縄銃を量産できた最大の理由です。もちろん時代背景もあり、当時がたまたま戦国時代であり、各地の大名らから多くの火縄銃が求められた事も技術が発展していった大きな理由になります。室町幕府をのちに倒すことになる織田信長はその代表格です。たくさんの鉄砲を集めてのぞんだ武田勝頼との長篠の戦いでは3000丁とも伝えられる鉄砲を戦場で使用し、最強騎馬軍団を倒したといわれています。それまでの戦いの主力であった騎馬隊から完全に鉄砲の時代へと変化しました。のちの関ケ原の戦いでも島津を始め主役は鉄砲隊になっていきます。そんな事が実現できた背景には、日本中に優秀な刀鍛冶がおり、その技術力がすでに火縄銃を創り出せるレベルにあったという事が大きな要因です。

おまけ;織田信長の投資戦略

鉄砲を最大限利用したのは織田信長です。なんとなく魔王であったり戦国最強覇者というイメージがあり強さの要因=戦いに強いというイメージがあったりしますが、本当の強さは経営者としての投資戦略です。信長の最大の武器は名古屋(尾張)を基盤とした経済力と、それを元に職人たちに投資を行った経営戦略です。信長が抱えた職人集団に土木のスペシャリストがいます。彼らはものすごい技術力で城を立てる事が出来ました。戦いにおいて拠点を一瞬で作ってしまう技術者集団は信長の大きな戦力です。それと同様に鉄砲に関しても信長は当時有名な集落であった国友にガンガン投資をします。その結果鉄砲量産と共に技術も進み、信長の力もどんどん増していきました。技術・職人がいるだけではなくそこに投資を惜しまなかったパトロンの存在も、技術革新には絶対に必要であったという事だと思います。

10ミニッツ自習室について

▼毎週月曜日更新予定【10ミニッツ自習室】
今回の科目: 日本史 鉄砲
キーワード: 刀鍛冶 種子島
織田信長 おまけ: 織田信長の投資戦略

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