10ミニッツ自習室<印象派について>
絵画展は色んな所で開催されていますが、人気のタイトルは「印象派」です。大体印象派展って入っていれば多くの人が美術館に行くイメージなのですが、そもそも印象派って何がどう印象派なんですか?その由来などを知っていますか?絵画のジャンルとしては写実やキュビズムなど、様々なものがありますが、印象派とはいったいどんなジャンルなのか。絵も風景や人物、手法もどこか曖昧な筆づかいであったり、柔らかい印象ですが、どういった形で印象派が形成されていったのか10分くらいで勉強します。
印象派が登場するまで
印象派とは19世紀後半にパリで花開いた芸術運動です。印象とは、クロードモネの「印象・日の出」が名前の由来で、当時の批評家が批判のために取り上げたこの「印象」というワードが活動全体を表す言葉になっていきます。しかし、印象派の絵画は当初はどこからも相手にされず、批判されるだけの絵画でした。理由は当時の常識の外側にあったから、という事です。印象派を知るためにはその少し前からの絵画の歴史を知る必要があります。
西洋美術の歴史・ロマン主義から写実主義へ
まず17世紀頃はアカデミーが美術に関して支配をしていて、絵画を評価するシステムとして「サロン」が大きな力を持っていました。評価するのは聖書や歴史・神話を描いた宗教画のような作品で、それ以外はゴミ。書き方も筆の跡を残さない滑らかな絵が規範とされます。
その規範に対して、反抗するカウンターカルチャーが若い画家たちから次々と生まれていきます。例えば写実主義です。言葉だけ聞くと、写真のように精巧な絵を描くこと、のように聞こえますが、これはありのままの今を描こうとするスタイルです。歴史や宗教画ではなく、今の社会のありのままを描こう、というのが写実主義で、ミレーの「落穂拾い」などは労働階級をそのまま描き出した絵です。今見ても特別に感じませんが、当時評価されていた歴史や神話を描くスタイルからすると全く違う考え方で、広く衝撃を与えた絵になります。それらが先駆けとなり、若い画家がどんどんと影響を受けながら、徐々に印象派と呼ばれるものが生まれます。
印象派とは、サロンの支配を離れた表現者たち
つまり印象派とはそれまでのアカデミーが支配していた絵画のルールを無視して絵を描いた革命家です。輪郭線を描く事をやめて、より形や光を捉えるため技法を考え、筆跡を大胆に使うなど、滑らかで光沢のある塗り方が正しいとされた時代ではありえなかった描き方で、批評家から酷評されます。それでも彼らはアトリエではなく屋外にでて絵を描き、細部ではなく全体で光や色をどうとらえるか、それらをこれまでにないストロークで描き出しました。モネ・シスレー・ピサロなど代表的な画家たちが徐々にそのすそ野を広げていき、結果として支持を集める事で最初は異端であった印象派の絵画は、最もモダンな絵画となり、その後のポスト印象派やキュビズムなど次の時代の革新に繋がっていきました。現代の人たちがそんな印象派の絵画に惹かれる理由は、それまで「歴史」や「神話」に向かっていた芸術が、この時代にようやく「民衆」のものになったからではないかと思います。その時代をどう捉えようとしたかはそれぞれの画家次第ですが、画家たちが生きた時代と向き合った印象派の絵画は時を超えて何か人が生きる理由や模索など、感じるものが多くあるような気がします。
日本は芸術分野の最先端
絵画は長らく「歴史」や「金持ち」のものであって、庶民が気軽に楽しむものにはなっていませんでした。それが実現するのは産業革命後、本当に近代の話です。そんな中で、日本だけはいち早く庶民が気軽に芸術を楽しんでいたのをご存知でしょうか?浮世絵です。江戸時代の庶民の楽しみとして、大量生産された浮世絵がありました。庶民が気軽に絵を買える、今では当たり前ですが、世界中を見てもあれだけのクオリティの絵が庶民の手に届いていた国は類を見ません。日本は芸術の最先端を行っていた国ではないでしょうか?
10ミニッツ自習室について
▼毎週月曜日更新予定【10ミニッツ自習室】
今回の科目: 美術 西洋美術史
キーワード: 印象派 写実主義 ロマン主義
おまけ: 日本は芸術先進国?
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